100年の足跡は未来へ続きます(1)

T. Gilbert Pearson, ICBP President 1922-1938

世界の鳥類と環境の窮状を前に、先見性のある自然保護活動家たちが集まり、国際的な活動を始めたのは、100年前のことでした。国内で活動を行ういくつかの組織が基盤となり、着実に勢いを増し、最終的には自然のために世界へと声を上げることができる組織に発展しました。それが、バードライフ・インターナショナルです。

2022年、バードライフは100周年を迎えました。バードライフの歴史を振り返る物語を、四回に分けてご紹介します。

 

鳥の群れで、日食のように真っ黒になった空を想像できますか。かつて北米で最も多く生息していたリョコウバト(Passenger Pigeon)は、想像を絶するほどの大群を成し、日の光を遮ることができる鳥でした。どの種よりも群生する鳥で、その数は30億羽とも50億羽ともいわれ、1866年に目撃された一つの群れは全長300マイルにも及ぶと推定されました。しかし、ヨーロッパから入植が始まると、その状況は一変します。数万年もの間、原住民と共存してきたこの種は、大規模な狩猟と森林伐採により、わずか数十年の間に絶滅してしまったのです。1901年に確認された最後のリョコウバトは、銃殺されたと考えられており、わずか半世紀の間に地球上から姿を消しました。

「自然」による絶滅は何百年、何千年もの年月がかかりますが、人間の活動がこの速度を危険なほど加速させたのです。

19世紀後半、鳥類に対する脅威がより新しい形として現れました。ヨーロッパやアメリカでは、人々が豊かになり、これまで以上に派手な服装をするようになりました。女性が大通りで目立つためには、帽子に珍しい羽根と見慣れた羽根の両方をつけることが好まれるようになったのです。

アメリカのパートナーである全米オーデュボン協会も、イギリスのパートナーである王立鳥類保護協会(RSPB)も、そのルーツは「残酷な帽子」と呼ばれていたものに取り組むことでした。RSPB によると、Emily Williamsonは、コサギ(Little Egret)、カンムリカイツブリ(Great Crested Grebe)、フウチョウ(birds-of-paradise)などの鳥を絶滅に追いやる羽毛や外来種の羽飾りの流行と闘うという一つの明確な 目的をもって1889年に協会を設立しました。

この女性だけの運動は、男性に限られていた英国鳥類学者組合がこの問題に取り組んでいないことへの不満から生まれました。同様に、アメリカのマサチューセッツ州では、1896年にHarriet HemenwayとMinna B Hallが、ボストンの社交界の女性たちに鳥の羽のついた帽子を避けるよう説得するために、アフタヌーンティーを主催しました。その結果、マサチューセッツ・オーデュボン協会が設立されたのです。オランダのパートナーであるVogelbescherming Nederland (VBN)も、羽付き帽子の反対運動を成功させたことがルーツとなっています。

多くの人が、この戦いに参加しました。ファッション史専門家のCassidy Zacharyによると、「1911年の六ヶ月間に、四つの羽毛取引会社がロンドンだけで約22万3,490羽の鳥の死体を販売した」そうです。

著名な野生動物保護活動家であるWilliam H Hornadayは、1913年にニューヨーク・タイムズ紙に「女性たちは虐殺された何百万羽もの数え切れないほどの鳥の血を頭の上に載せている。彼女たちは世界中の鳥類を苦しめていることを見せびらかしているのだ」と語りました。

窮状を目前に、立ち上がった人々。動きは世界中へ広がって行きます。物語は、次回へと続きます。

羽根飾りのために狩られていたコサギ

報告者  Christopher Sands

“100-years-and-counting”を一部編集しました

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