鳥のために南米大陸を走破したカップル
今回はKatharineとDavid Lowrieの二人にインタビューしました。二人は大西洋を渡り、南米大陸を走破するスーパーマラソンに挑みました。それはすべて鳥類保全の資金を集めるためでした。
カリブ海を想像してください。そして、重さ140kgのトレーラーを引っ張りながらマラソンを走った後にカリブ海を目にするのを想像してください。さらに、ほぼ毎日、15ヶ月もこのトレーラーを引っ張リながら走り続けた末に、カリブ海を目にするのを想像してください。
これこそ、2013年10月にバードライフとアルモニア協会(ボリビアのパートナー)の資金集めのために、35歳のKatharine LowrieとDavid Lowrie夫妻が支援なしで南米大陸を走破した世界で最初の人になったときの気持ちです。今回、「Running South America with my Husband and other animals(夫や動物たちと南アメリカを走る)」という彼らの経験を綴った本の著者、Katharineに話を聞きました。
(質問)Katharine、あなたとDavidが成し遂げたこと、そして人の体にそれだけの能力があるということを知って驚きました。このすごい冒険を始めた動機は何だったのでしょう?それは大西洋を横断することを含めて3年間と決めていたのですか?
(回答)大西洋や太平洋を航海するのはマラソンの理想的な準備ではありません。私たちはマサイ族のようにその場でスクワットしたりジャンプしたりするしかありませんでした。走ることはとても自然なことであり、人は走るように進化してきました。そして私は走っているときのウキウキした気分が好きなのです。ただし私にとってジグソーパズルの重要なピースは自然の中を走ることだったので、野生生物と自然の愛好家として、私たちは航海とマラソンの二つを結び合わせたかったのです。
(質問)あなたはRSPBで働いており、南米に向かう途中でバードライフの活動支援として「小アンティル諸島における海鳥繁殖マップ」作りのためにカリブ海の調査をしましたね。何か他のこともしたいと思ったのはあなたの中の生態学者の部分によるものでしょうか?
(回答)はい。このような旅に挑んだ理由は世界の人々と野生生物を結びつけ、私たちの愛する生物多様性とありのままの生態系の重要性を訴えることでした。私たちがどれほど自然に依存しているかを示し、南米の自然のすばらしさや、保全する価値があることを皆さんに気づいてほしかったのです。
(質問)とても疲れたことと思いますが、そのほかに体に影響はありましたか?
(回答)あせも、刺すような寒さ、100%の湿度、数え切れない足のまめ、熱帯性潰瘍、噛むアリ、虫の群れ、はがれた足の爪、悲鳴を上げる関節と筋肉、栄養不良等々です。ただ受け入れ、乗り越えれば良いのです。
(質問)冒険家のRanulph Fiennes卿はあなたには「特別な勇気と決断力がある」と述べていました。どのようなルートでしたか?
(回答)全体の距離をおよそ5,000マイルと考えていましたが、後に海里で計算していたことに気がつきました。南から北へ、私たちのルートはアウストラル街道(チリ南部のハイウェイ)の温帯雨林、もちろんアマゾン川(子供のころから夢中になっていた)、そして支援している慈善団体を訪れたいと考えていたので、ルートは自ずと決まっていきました。
(質問)あなたは南米を走破した初めての女性となりました。おめでとうございます。鳥の渡りのように大陸を越える長くきついルートでしたね。
(回答)そうですね。ツバメを見るたびに渡り鳥のことを思い出しました。私たちは夜を明かすキャンプ地を探し、料理をし、眠り(多分)、生き残ると言うこの基本的な生き方を通して自分が大地とつながっている感覚を味わいました。シンプルな時間は何物にも代え難いものです。苦しいときには野生生物が気分を高めてくれました。私たちを見ながら飛ぶコンドル、天の川の下に張ったハンモックの上を光りながら飛ぶホタル、カワイルカ等々です。生涯忘れられないのは、ブラジルで靴を履くために屈んだときに、キビタイボウシインコが私の肩に止まったことです。
(質問)ボリビアではアオキコンゴウインコを見ることはできましたか?
(回答)はい!アルモニア協会の保護活動の話を直接聞きたいと思っていたので、私達はでバルバ・アズール行きの飛行機に乗りました。そこはアオキコンゴウインコのねぐらと採食地があり、アルモニア協会が2008年から管理している自然保護区となっています。その途中では牛の放牧によって劣化した生息環境を目の当たりにしました。上空からはまるで虫食いの穴ように見えました。しかし私たちは拠水林や湿地も見ることができました。頭上をクワックワッと鳴きながらアオキコンゴウインコが飛んでいきました。私たちは彼らのテリトリーの中にいたのです。私たちが支援をしている鳥を見ることができてとても興奮しました。
(質問)とても元気が出たのではないですか?
(回答)そのとおりです。アルモニア協会の活動はとても励みになるものでした。卵や雛を盗む密猟者を防ぐために、日夜インコの巣のある場所を守っている監視員と会うことができたもその一つです。私たちはアルモニア地方のテレビに出演して、人工の羽根で作られた伝統的髪飾りを見せ、同地方の儀式のためにインコを殺して本物の羽根を使う必要がないことを訴えました。私たちには共通するメッセージがあります。小さな一歩であっても、一見乗り越えられないように見える問題にも取り組むことができる、ということです。絶滅危惧IA類の種を救う取り組みも同じです。啓発活動にとって大切な考え方です。
(質問)あなたが訪問したような貧しいコミュニティでは自然保護の優先順位はかなり低いと思いますが・・・。
(回答)竹とリサイクル部品で手作りした自転車のトレーラーのおかげで、私たちの旅はより実りある者になったと感じています。先々で皆の注目の的になりました。ボリビアは南米の最貧国ですが、人々は毎日私たちに何かをくれました。飲み物や、バイクで運んでいたグレープフルーツなどです。学校で話をした際は、私たちが南米大陸全土を走るには自然が重要だと考えていることを皆分かってくれたようです。アルモニア協会が発してきた、アオキコンゴウインコを守ることの大切さを伝えるメッセージが、遠く離れた小さなコミュニティにまで浸透していることを知って驚きました。
(質問)もしや・・・マラソンよりも長い距離を走った後で、スペイン語で環境問題の授業をしたということですか?
(回答)なんとかやりきりました。キャンプをしたり、トレーラーを修理したり、調査にブログと、本当に大変でした。地元の野生生物の写真を印刷し、人工の羽毛を配り、コミュニティに共存している動物の役割や機能に関するクイズゲームを防水シートの上に描きました。一人の女の子が、「あなたの国のインコやオウムはどんななの?」と聞いてくれたのです!私たちがクモや「這いまわる虫」すら好きで、こうした生き物でさえ大切だということを話すと、驚いた彼らの目は皿のように大きくなりました。学校で子供たちに話をできたのは、今回の旅のハイライトの一つです。私たちも多くのことを学びました。
(質問)ウルトラ・ランナーから生態学者の部分を奪うことは出来ないのですね。その上さらに野生生物の調査もしたのですか?
(回答)凍り付くような風の中、テントの中でノートパソコンについて言い争いをした時には「何でこんなことをしているのだろう?」と思ったこともあります。けれどもそのおかげでたくさんの特別な生き物を見ることができました。特別大きな「トランセクト・ライン」(生物の定量調査で用いる手法の一つ)を設定したようなものだと気がついたのです。合算すると、1マイルごとにほぼ1種の鳥をカウントした計算になります。
(質問)何か怖い出来事はありましたか?
(回答)ベネズエラのマフィアの支配地域にいた時、夜中に銃声を聞き熱帯雨林の中に隠れました。危険を避けるため、私たちは戦略を立てました。早朝に走ること、ひどい姿に見せること(自然にそうなりましたが)、お金は全てトレーラーのタイヤの中に隠すこと、出来るだけ早く危険地域から逃れるため休日を減らして連日走ることなどです。ある夜にはテントの側でジャガーがバク狩りをしている音を聞いたこともありました。
アマゾンでは、どうしても食料が必要だったときに、うっかり違法伐採者のキャンプ地に足を踏み入れてしまったこともありました。彼らが伐採していた樹木の大きさを見て胸が張り裂けそうでした。それでも、このマラソンを通して少なくとも、この特別な自然についての関心を高めることは出来ます。
(質問)とても悲しいことですね。アマゾンには今でも手付かずの自然があることを想像するのが困難です。
(回答)車に轢かれた動物をたくさん見たという点では、道路を走るのは痛ましい事でした。道路脇に2頭のオオアリクイが死んでいるのを見ましたが、1頭は背中に子供を背負っていました。子供は生き残れないだろうと思いました。道路の影響にはすさまじいものがあります。衛星画像で見ると道路の杉綾模様パターンが見られます。熱帯雨林が伐採、放牧、居住地のために区画分けされているからです。一方、ブラジルのアマゾン地域の放棄された通称「ジャガー道路」では、いかに森林が元に戻るかを体験しました。そこにいる間、3週間誰にも会わずにここを走ったのです。
(質問)ルートの3分の1は裸足で走ったとのことですが・・・
(回答)はい。素早いステップで速く、軽やかに、柔軟性をもって走るのには裸足の方がより自然で、怪我も減らせるのです。アキレス腱を痛めるのでトレーラーを引っ張る時はやりませんでしたが。あまりにも裸足が良かったので、飛んでいるように、あるいは雲の上を走っているようでした。アルゼンチン北部であまりの暑さに白線の上を走りました。
(質問)走るのに最高のエネルギー源は何ですか?
(回答)ブラジルのナッツです。次に食べる機会があったら原生の熱帯雨林にいるのを想像してください。そこはほぼ全てのナッツの原産地です。無傷の森の中にだけ、適切に受粉媒介する蜜蜂が居るのです。
(質問)何か際立った思い出はありますか?
(回答)ある夜にテントの側でジャガーがバク狩りをしているのが聞こえたことです。ハンモックを吊っている時に夫のDavidがアリに襲われて、地元の人たちが大笑いしたこともありました。それから、私たちを追いかけて走っていた男の子が死にかけたことです。彼には呼吸に疾患があったので、私たちは走るのを止め、彼としばらく話をすることにしました。子供たちはまさに希望です。
(質問)今回の旅で、あなたの人生は変わりましたか?
(回答)シンプルに生きるという考えがさらに固まったことです。Davidは地元産の木材でログハウスを作りました。私たちはまた南米に戻ってきましたが、今回は3歳の息子が私の自転車の後ろ席に座っており、17ヶ月の娘は彼の後ろのトレーラーの中でいびきをかいています。Davidは前方でお皿ほどの大きさの蝶の群と一緒に熱帯雨林のぬかるみの中でペダルを漕ぎ、全部の道具が積まれた手作りトレーラーを引っ張っています。私たちは南米と人力の冒険にすっかり取りつかれてしまったようです。
今回の旅についてKatharineの書いた本はこちら
バードライフの活動へのご支援はこちら
報告者:Shaun Hurrell
原文はこちら